先生のブログ

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  水 越 卓 治 

プロフィール
2019/01/04

卓490 研修ウォーク

 

新しい年を迎えました。平成元号もあと四月。

前号でご紹介した,卒業生による教員似顔絵が

贈られたのは十年前の春でしたが,当ブログの

オープンはその5か月後の8月下旬でした。

 

校内,授業,校外学習,部活の様子などを

一貫して週1ペースで発信してまいりました。

500号とちょっとまで行ければとも思います。

   

気・時・空・財の度量衡を見守りながら,

自助・共助・公助の均衡も図りながら,

イライラ・クヨクヨ皆無の日々を創るところに,

「平和」や「幸福」を具現化する意味があります。

  

*********************

   

2018/12/27  11:16

 

12/27(木)の日中,都内で研修会がありました。

ALL聖徳・18の機関,全員集合というもので,

六百名超の教職員が会しました。

 

18の教育機関というのは

春の七草や名古屋のういろうの種類のように

全部唱えてみてしまうと,

 

大学院・大学・短大・通信教育・専門学校・

高校(秋山・取手)・中学(秋山・取手)・小学校・

大学附属幼稚園(松戸・小金原・成田・浦安)・

聖徳学園幼稚園(三田・八王子・多摩)・

生涯学習(SOA),

  

…言えました。 合っていますよね。

ちなみに,3,4行目はそれぞれ,

「附属四園」「三田三園」と称されています。

  

この人数規模ですから,

年末のごあいさつをお席でうかがうのが

ベストなわけですが,やはり,

お聴きした内容の共通項はというと,

 

教育現場のみならず,国内のどの業界も,

「先の大戦を上回る近年の人口減少」

「目に見えない人口減少」①

に直面している昨今,さまざまな

見直しや工夫が要求されるところ。

 

でも,

「他国に先立っての人口減少,

と思えば,やり甲斐はある。」②

との見方の通り,

現実直視から積極的な視点まで示唆を頂戴し,

 

前学期のレビューと次学期のプレビューに

資するビジョンを得る時間となりました。

 

 ① 名誉学長・野田聖子先生のお話から

 ② 理事・小林敬治先生のお話から

  

*********************

   

研修会からの帰り道,

赤坂見附から丸の内までの3km少々を

健康のために教員4名で歩くことに。

   

15:01

 

美術の黒沼先生,日本史の牧先生,

家庭科の長嶋先生,地理の私で

目に入ったものを好き勝手に

話しながらのウォーキングです。

 

さほど寒くもない晴天の昼下がりでした。

   

  

現在位置を明治初期の旧版地図上で

確認するアプリを牧先生はスマホに搭載。

 

明治初期の旧版地図の利点は,

江戸後期の状況+近代的な地形測量の

双方を具えており,史料的価値高し。

これと現場の景観とを,同時に視認します。

   

( 赤坂見附跡 15:04,最高裁前(三宅坂)15:16

 

地下鉄の駅でいうと, 

 


( 東京メトロではなく,都営地下鉄で出してる路線図より )

( 黄緑の楕円形は皇居を暗示してい(ると思われ)ます )

 

永田町・赤坂見附駅→桜田門駅→二重橋前駅→東京駅

の各駅を結んだ区間を,のんびり歩くこと85分。

  

この区間の大部分は,皇居(旧江戸城)の

南側の内堀に沿った道で,

皇居ランニングをする方々には日常のルート。

 

今回私たちは途中,20数分間に

百人くらいの人に追い抜かれたと思います。

   

15:35 彼方に去るはランナーさん・影の私たちはウォーカーさん

  

国会議事堂や霞が関の省庁,

最高裁や東京地裁など,三権の要が

密集する一帯であることは周知の地域。

  

標高5m刻みで色分け区分 旧江戸城は台地の東端に位置

( 桜田門の前に設置されている千代田区教育委員会による掲示より )

   

地形的には,高台と低地が交錯しており,

テーブル状の武蔵野台地の東端一帯に,

谷地田とよばれる谷間がひび割れのように

枝分かれ状に入り組んだ,千葉や茨城にも

よく見られるパターンではあるのですが,

   

15:24

    

水戸や金沢など多くの都市もそうであるように,

城下町としての風格が,谷地田などの元来の

地形景観の上に漂い,数百年間の各時代の

歴史の層の存在を実感させられます。

 

15:29 )               ( 15:37 法務省・旧本館 1895年竣工 )

     

内堀を渡り桜田門に入ると,牧先生からは,

二重構造の桜田門こそが江戸城の持つ

外敵防御の最大の拠点であった旨,

解説を受けます。

   

15:45

( 写っていませんが 背後と右方は堀と崖に囲まれています )

   

上の写真で右奥に見える第一の門(高麗門(こうらいもん)),

左手前に見える第二の門(渡櫓門(わたりやぐらもん))。

その間にある長方形(枡形(ますがた))の広場を,

もう二方にある堀や崖が城内へのゆく手を阻んでいます。

   

15:43, 背後は 第二の門である渡櫓門 )

  

第一の門を開いて枡形におびき寄せた軍勢を,

両門とも塞いで一旦ここに閉じ込めた上,

 

四方から矢玉の雨で打ちのめすという,

ある種攻めのぼる外敵の処刑場として

設計されたという話を名調子で受けると,

  

幕藩体制や築城技術のもつ歴史的な意味も,

数百年の時間の経過を想いながら,

心に刻む思いで噛みしめることができました。

 

※ 「枡形見附門」で検索して出てくるサイト内容も,参考になります。

※ 数年前の環境省のサイトも,位置関係が参考になります。→ https://www.env.go.jp/garden/kokyogaien/topics/post_30.html

   

15:44

  

関連して,有名な桜田門外の変も,

第一の門の外側で159年前に起きており,

楽し詳しい解説を受けましたが,

本稿では割愛します。

    

第二の門・渡櫓門を過ぎると,

ランナーさんが入れないゾーンへ。

12/231/2も皇居への一般参賀に

例年にない大人数の行列が報道されていた

皇居前広場(皇居外苑)です。

   

2018/12/27  15:48

  

二重橋の本来の意味も確認したところで,

  

15:54

(抜粋)…正門鉄橋は、かつては木橋で、その下に橋げたを支えるもう一つの橋があったため、二重に架けられたという意味で「二重橋」と呼ばれます。…

 

「正門石橋」はよく見えますが、その少し奥に「正門鉄橋」が架かっています。)

(「この二つの橋を総称して『二重橋』と呼ぶ人も少なくありません。」ということも案内に記されています。

    

和田倉門から外苑を出て,丸の内へ。

  

16:10  遠く正面に東京駅丸の内口駅舎

  

数年続いた工事の終わった

JR東京駅丸の内口の駅前に着きまして,

健康維持のこの日の遠足は終わりました。

この後の食事に一味添える運動となりました。

   

2018/12/27  16:18

   

晴天昼下がりの上掲の区間の景観は,

江戸東京の宝だと思います。

地下鉄ばかりでなく,地上を徒歩や車で,

景観をめでてみてはいかがでしょう。

  

  

 

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